嫌われないように生きることは理想なのか無理なのか。

気になった記事メモ。

誠 Biz.ID:個人サイト管理人の「目」:1億総情報発信のSNS時代がもたらした「炎上の日常化」と付き合う方法 (3/3)

もし炎上してしまった時には、自分を客観的に見つめるといいですよ。リアルの自分が叩かれているのではなく、あくまでネットの中の自分が叩かれているだけだと割り切るんです。例えば「死ね」などの嫌なメッセージをたくさん送られると、大変心に堪えると思うのですが、「これは現実の自分とは関係ないこと」と割り切れば、落ち着いていられるようになります。

この特集は連載で続くようなので、続きも注目してみよう。

いじめの原因は「優しさ」、「思いやり」にある | ihayato.news

「迷惑をかけないように生きろ!」と教えられた人間は、自分が誰かに迷惑をかけたことに気付いた瞬間、強烈な自責の念に駆られるでしょう。同時に、他人が自分に迷惑をかけた瞬間に、強烈な憤りを抱くようにもなります(自分が実は誰かに迷惑をかけつづけているにも関わらず)。

なるほどと思った。
私が思っていることは、例えば自分が迷惑をかけたと抗議、非難されたということは、悪いことではないか。人として良くないことではないか。→悪い人間だ。それを治さなければならないと思う。
でもこの考え方だと、他人に思いやりをと教育を受けたからこそ、迷惑をかけられたと思うと正義感から憤りになり、迷惑をかけた人間を責めるのだろうか。堂々巡りになってしまう。
迷惑をかけないようにと生きたいと思っているが、配慮が足りなかった、考え方の違い、行き違いや失敗することがある。ある程度は反省をして改めて、自分を責めすぎないように、楽しく生きられるようにしたいと思う。