ワーキングマザーは幻想である。どこで割り切るか。

さっきブックマークしたけど、書ききれないので続き。
仕事のできないワーキングマザー
この匿名につづいての
仕事の出来ないワーキングマザーでいい
この匿名の文章。

こういうのってだいぶ前から話がループして出ている。
バブル時代の男女雇用均等法(カツマーとか)が最初の時代で。

最近ワーキングマザーまわりの話やニュースを良く見聞きするけど、
こういうのを見るたび、焦るし、自己嫌悪になる。

「限りある時間の中、仕事でも大いに能力を発揮し、もちろん家庭でも良き母・妻である人」が
ワーキングマザーとしてのあたりまえ・めざすべき姿、みたいになっていくようで、そうなれない自分が恥ずかしい。

自分もそう思ってた。だけど個人の努力でできることは限られてるし、周りの環境に左右されるし、限界がある。
「仕事ができる」の定義って何かっていう問題だと思う。
企業につとめてるわけだからマネジメントの判断だし。
男でも女でも個人で差がある。

不平等だとか仕事できないと言われても、切り分けて出来る事はやって、受け流すしかない。
無理しすぎるとあちこち壊れていく。

真面目で努力主義だと、手抜きしたくないと努力してしまう。
それでもう1つのほうの文章で、料理が手作りとか本を3冊読むとかやらなきゃいけなくて、それが当たり前だと思ってる。
有給使わないとか、昼休みとらなくて当たり前でまだぬるいという考えでいると、その基準を同じような境遇の他人にも要求することになる。
そっちも問題だと思う。

どこで割り切るかは性格や環境で個人差あるし、難しい。
ワーキングマザーはこれが理想だとか思い込まない。