ブログやSNSで批判や炎上を恐れずに、続ける価値はあるのか?

最近またいくつかのブログ文章を読んで、思った事をまとめます。

「これが良い」「これが好き」ということを表明するのは案外大変だ(けど、だからこそ価値がある): 不倒城
・人は、好きな物が褒められている記事よりも、批判・悪口を言われている記事を読む傾向にある。
・書き手は、批判・悪口を書くよりも、褒める記事を書くほうが難しい。
・そのため、褒める記事を書く事は難しいわりに、リターンが少ない。
・リターンが少ないどころか、褒める記事に批判が来ることもあるので、リスクもある。
・しかし、好きだからこそ書くのである。

こういった内容と理解して、同感だと思った。ブログだからこそ、好きな物を書くのは、自分が読みたい内容だから。うまくは書けないけれど。
でも、広く不特定多数に向けて書くことは、リスクを伴うので、不安になりながら書いている。気にしていることは言われずに、思いがけないことで批判や指摘されることがあって、落ち込む。
書いてて良かったと思うこともたまにあるし、読者に期待はしなくても、自分が好きで書き残していることが重要だと思う。
失礼にならないように気を使ってはいるが、考えもしないところで、読んだ人を怒らせることがあるかもしれない。
私が思うのは、失礼になったり炎上してしまう原因として、人がある対象を好きだからこそ、その対象を大事にしたいが故に、守るためにアクションをするのではないかと。
批判・悪口が言われていれば、対抗したいと思うだろうし、対象が同じであっても、大事にしたい、守りたい部分は人によって違う。例えば自分であったり、大事な人を守るためでもある。フェアじゃないってことに対して、愛情、金銭での関係は炎上しやすい。
それは、筋少の活動停止の時に、Webでファン同士書いてたことを思いだすと、そうだったなーと思う。

「誰にも嫌われたくない」と思う限り多くの人に届けるのは無理。 - インターネットの備忘録
そこで次にここで書かれていること。
・不特定多数に読まれることは、嫌われることが避けられない。
・自分だけにしか見れないようにすれば、嫌われないし楽だ。
・しかし意見を届けるためには、多くの人に読まれなければらないので、覚悟しなくてはならない。
そこまでして、書きたい事があるのか?と自己に問う。仕事ではないブログなのに、熱意がないとできない。

自分に悪意を持つ他人の存在を認識して感じたことの話。 - インターネットの備忘録
嫌われることについて。
・何かされた(迷惑なこと、気が合わない)
・調子にのっててむかつくと思われる
twiterで多くの人のつぶやきを見てると、不満や愚痴などがある。例えば町中や学校、職場、ライブ開場など多くの人が集まるところ。テレビやネットのニュースを見て思ったこと。ああされて迷惑だった、ああいう人は迷惑だ、例えば町中で子供が迷惑だ、親のしつけがなってないとかいう内容を聞くと、自分は大丈夫だろうか?考えずに迷惑をかけていないだろうかと思う。
また、調子にのっててむかつくと思われるのは、例えば金銭やモテるとか地位とか、運や環境、そういった格差についてなど。社会的に反した事をすることも、叩かれる。

叩かれてるのは「あなた」じゃない - インターネットの備忘録
批判・悪口があっても、心折れずに続けられるかどうか。
・文章は書き手の思惑通りには伝わらない。
・叩かれたとしても、人自身じゃなくて、文章の内容についてだと思う。
・反発を次のエネルギーにすればいい。
・でも、嫌なことからは逃げてもいい。
書いてて良かったと思った事を覚えておくことも、重要かも。

好きな人には好きって言おう。 - インターネットの備忘録
それで、これらの著者さんがエントリを総括して書いたもの。
好きな事を好きだと表明したり、褒めたり、応援したりすることは素敵だし、怖がらずに書き続けていったほうがいい。

好きな事を好きだと表現するために、他の何かを貶めたりするのは、他の何かを好きで大事にしている人にとっては失礼になるから、避けたいです。
好きな物が個人でなくて、たくさんの関係する人や事柄があるのなら、それらを応援していけるような内容を書きたいと思う。
特定の個人に読まれるだけで良ければ、直接届けるメールや手紙で書けることを書けばいいと思うし。
ブログに書くのはいまさらそんなの、好きなのは分かってるからあまり読まれないとは思うけど、時間がたって記録的に何か参考になることもあると考えてます。

議論の引き際のための11のルール | こどものもうそうblog
自分が関わることで論争になる事ってめったにないけれど、参考になりそうだったので。
ブログでまとまった文章を書く・読まれることと、例えばSNSでの対話や意見のやりとりとは書き方が異なる。
人々はそれぞれの大事な物を守るがために、意見をかわしたり、摩擦があるのだと思う。
それをふまえて、書く事を続けたい。