現世では諦めている。終わりである。それはどれだというのがこの記事をたまたま見て読んで言葉が見つかった。mess-y.com

夫の稼ぎが安定しているのならば、母親が幼い子供を預けてまで働く理由がない、という固定観念は2014年現在もなお日本に根強い。まず「男女つがいで婚姻関係を結び子を為す」ことが人間として“善”であるという前提のもとに、「男が外で働き、女が家と子供を守る」家庭こそが正しい家族の在り方だという主張である。

「女は稼げる男と結婚したら働かなくていい」「母親にとっての一番の仕事は育児」という観念がまかりとおる世の中は、多くの男女にとって様々な権利を阻害している。

タチが悪いのは、上記の主張を持つ側は全然悪気がなく、無意識に刷り込まれた価値観を疑いもしていないところだ。都議会の「産めないのか」ヤジ騒動も、根底はここだろう。「働くか子を産み育てるか」の二択を迫られれば、少子化国となるのも必然。

そういうことだ。そう思い込まされてしまっているが、それで実際に都合がいいのは一部の富裕層で、過去から財産を持っているとか。
あと記事元メモしてなくて忘れたが、日本には昔からある昔話で、悪い行いをしている人に悪いことが起きるのは当然であるという考えが刷り込まれているのとか、代々の家を守る的なことで夫婦別姓の問題とかがある。それにとらわれてしまっている。伝統的な家族観という。戦国時代的な。

そういう観念に沿わないのが、迷惑な人間だという重圧が生きにくくしている。
一人産んだらもう一人ということも。3人4人いたほうが上で、だから負い目がある。それは変わらないのだ。どうしようもない。得するのはごく一部の人なのに。

さまざまな理由で働けない人がいる。好きなことややりたいことを仕事にしているという人が全てではない。むしろそういう人のほうが少ないと思う。

kobeni.hatenablog.jp

今日読んだこちら。私はもっと上で40過ぎている。もともと容姿が劣っているのに、年取ったら老けるだけでさらにひどくなり、努力でカバーすることも苦手でできなくなった。
仕事も会社員でなくなったからバイトで少々しか稼げなくなった。能力はここまでだった。生きてるだけでせいいっぱい。

ただ若いころから可愛くて美人でアイドルとかの業界に入るような子でも、美人やかわいいのほかにひいでた能力がないと飛びぬけられないし、可愛かったり美人であることによる厳しさやデメリットも様々あるようだ。

容姿と能力が高いのが女性だったらアナウンサーだったりするだろう。それだって画一的な認識でしかない。
そうではない人々のほうがはるかに多い。
ではどうか、生きていられること、不潔感がなく不快感のない一般的な対話ができること。無意識に刷り込まれた幸せの価値観とかにとらわれない。
あるていど稼げて、健康的な楽しみが持てる生活ができる。

私は10代のころに出会った筋少と、水戸さんやケラさんや、ほかにも好きな音楽がたくさんあり、それを楽しむことで生きてきた。
夢とかいうのはわからなくなった。ベストをつくしたいと思い、ああしてはこうしてはとやってみるが、うまくいかなくて挫折している。
生活と子育てと、音楽を楽しむためには稼ぎが必要で、そのために自分ができることで稼がなくてはならない。

迷惑だと言われること、言われるまでもないがそう思われていれば、それは重圧になる。
楽しむことにおいて、ファン同士で利害が生じれば、そういう場面にあう。そういうのは私はつらいし、争いは避けたい。
ファンとして活動を応援したり、楽しみ続けたいという思いがある。そう思ってネットで書いてきたことも、同じファンにとっては不利益で迷惑だと思われることだった。だから一部は正しくても間違いであった。
オーケンが言ってた、SNSに否定的な考えは正しく、自分のほうが間違いであった。
例えばライブでこういうことがあった、こう言ってたってことが、オーケンの意図とは違う方向に伝わってしまったりすること、ウィキペディアなどに書いてあることは事実ではなく不本意だと思っていることがある。
そういうことを書いている人が、大槻さんにとって迷惑だから、書いてる人が迷惑だということだ。自分がここが楽しかった、よかったと思って書いていても、ファンによってはそう思われるということだった。
だからどうするか。そのような圧力で楽しむことを諦めることはしたくない。しかしネットで書くことを全て諦めたくはない。

挫折するかもしれないが、SNSでフォロワー広げるのはやめて縮小する方向にしたり、交友範囲を広げない。自分が楽しむことを大事にすること。ファンレターなどで感謝や応援を伝えること。クリエイティブな才能がないから、できることはそのくらい。クリエイティブな才能を持ったファンはすでに多くいて、良さは下の世代などに伝わっている。私が昔に活動休止で不安に思っていた、音源が再販されなくなったら忘れられてしまうのではないか、ということも全くなくなった。
私は楽しみつづけていければいい。