世界は無くなると思うし、生きるの維持することだけであきらめて行く。

40歳になるぐらいまでは上昇指向でいたけれど、それからは自分ができなくなったから諦めること、日々を生き抜くことでせいいっぱいなので、あらゆる物事に対してのハードルは下がって行く。
まとまった文章にならないので、思いつきで繋がらず書く。

例えばブログをやっていて、昔はコラムニストに憧れていたが、そういう努力もできなかったし才能もなかった。

ジェーンスーさんと東さんの対談最終回のことを書き残していた。

ジェーン・スー/東浩紀 最終回 “若さ”に価値を置かない社会にしていこうよ<ジェーン・スー『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』×東浩紀『弱いつながり』刊行記念対談> - 幻冬舎plus

この中では、男性間は優劣を競い合うコミュニケーションだが、女性間はわかりあうことに価値をおいたコミュニケーションだという。
それから、女性は若くて可愛いことに価値があるという考え方が問題だと指摘している。問題を解決しようと案を出している。

ジェーン 自分がそういう価値基準から外れているなと思う人は、容姿や女子力ではない他の力を磨いておくと、40代くらいで形勢逆転できるので、「気を長く持て!」と言いたいですね。若さとかわいさがなくなったときに、胆力を鍛えておかなかった女性たちの末路はわびしいものになっています。

はたしてそうだろうか、分からない。若くて可愛いことに価値がある社会はその先もおそらく変わらないだろうと思う。
私は若いときから可愛くなくてちやほやされなかった。しかし、これにこだわっていたらおかしなことになっていた。可愛い定義は時代や場所によって違うだろうし。
世の中の人は多くいろいろな考えや人がいて、男だから女だからと二つに分けられないようなことがあると思う。
とても悲惨な事件や出来事が現実で起きるのを報道などで知ると恐ろしいし、将来の不安なども、さまざまなことを、社会をよくしようとして活動してる人々はりっぱだと思うけど、たとえば高齢化や少子化問題とか。
DVとかストーカーとか詐欺とか、これからもなくならないと思うし、逃げて身を守ることしかない。
スーさんは結婚したいけどできないから幸せじゃないのかどうかということで文章を書いてるけど、結婚してもDVで離婚して再婚してまたDVみたいな人もいる。
親から虐待されてたり、過保護すぎてひどい扱いうけてる人もいる。学校でいじめられてる子もいるし、職場でいじめやパワハラうけてる人もいる。
自分はかろうじて犯罪にまきこまれたりしたことはないけど、子供がこれから巻き込まれてしまわないか、と心配になる。子供との関係で子供が親をうらむことにならないか、問題がおきてこじれたりしないかと思って不安になる。
将来を楽観はしてなくて、親の介護が深刻になったらとか、自分が認知症になったらとか、いずれは社会はやせほそって無くなるんだろうと思う。
終わりはいつなのか、リミットがわからないから、少しの希望と、近いうちの楽しみとか、日々を生き抜くことしかない。

40過ぎて、なんにもたいしたことができなかったし、十分稼ぐ事もできていない。そう嘆くことはあるし、ちやほやされたことがないから、歳取ってかわいくもないのがただ老けていったから、自分の写真見てもげんなりする。せいぜい、肥満にならないよう努力するだけでせいいっぱい。
好きな事を好きな思いで大事にすることが、喜びだと思う。
好きだから応援したいという気持ちや、それこそ好きなことを「わかってもらいたい」っていう気持ちもあって、ネットが普及する前は同人誌であったし、パソコン通信からはじまってインターネットになった。
ずっと同じ土地にいなくて引っ越したし、中学から短大まで私立女子校で、彼氏はできないし、友達は漫画同好会と筋少ファン仲間だけだった。社会人になると疎遠になったりして、地元の先輩や後輩とかっていう関係もない。筋少ファン仲間も相方みたいなすごい親しい子がいるわけでもなく、布教して仲良くしてる子がいるってことでもない。
親友がいないってことか。それはみじめなことかもしれないけど、兄弟もいないし一人で動きやすくきらくではある。

それで、筋少を好きになってファンになって、好きだっていう気持ちを「わかってもらいたい」みたいな気持ちでいたけれど、同じバンドが好きでも好きな所とか細かくは人によって違いがいっぱいある。
わかりあえることもあれば、そうでもないこともある。好きな部分が共通することもあれば、相反することもある。好きなところが共通したとしてもだ、それがわかりあえて仲良くできるかというと、そうじゃないこともある。
好きな思いが強くて深いほど、他人が許せなくなる人がいるのが、コアなファンはどのジャンルだってあることだ。
好きで親しみをもって文章を書いているつもりでも、読む人によっては気に入らないとか、この人は合わない、共感できないと思われることがある。

間違ってたのだろうなーと思う。偉そうにと思われて嫌われるのは、つらいからそんな目にあいたくてやってるわけがない。
ブログがあって、mixiがあって、それからtwitterが出てきてやるようになって、たまたまフォローしあって話があって仲良くなれた人もいる。
でも、ネットが普及して、もともと面識もなくて見られてれば、面識あってるかもしれないけど知らずに嫌われてたり、面識ない人から憎まれてたりする。
最近、twitterのお気に入りや、自動的にフォローしてない人が勝手にTLに出てくるような仕様になった?とかで話題になったときに、同じ内容の話題をしてるからといっても、同じ内容だからこそこの人は気に入らないからフォローしてないにってことがあるから、多くの人が拒否感を持っている。
もう何年も前に、ブロックされてると判明した会った事ない人がいて、ブロックされててもたまーにRTでまわってくるから、それを思い出すとげんなりする。
別に言い争いしたこともないのに、ブロックされたってことは、よほど気に入らなかったんだろう。
おそらく、逆に自分の発言が、ブロックしてるのにRTでまわってきて、こいつむかつく消えろって思われている。
2chで名指しで叩かれて、前は情報収集だからとずっと読んでたけど、いっさい見ないことにした。
好きなものが同じだから、仲良くしましょうと思って、昔からファンでも新しいファンでも敷居高くしないようにって心がけていたのだけれど、それはうまくいかないし、間違っていた。

たまたま出会って気があった仲間とだけ、目立たないように迷惑かからないように楽しむか、もしくは一人で好きな事は大事にしまっておく。そんなに広くネットで発言していいことよりも、つらいこと、デメリットのほうが多いのではないか。
好きな思いが深い人が多いジャンルこそ、ファンの間で争いが起きる。深く好きになってなんになるのかと。
性格的に、データ収集好きのおたく気質なので、どこでもジャンルでありがちなファンサイトに憧れてきた。でも行く先を見失った。足もとから地面が崩れ落ちた。
ミュージシャンやクリエイターになって好きな思いを還元することもできない。

そういうことで、ファンサイトはやめた。twitterをやめようかとも思ったけれど、まだやめられないでいる。おいちゃんがもしもやめてしまったら、やめることになんら後悔はない。
争いごとは苦手だし、巻き込まれたくない。
いまだに、というか、筋少が復活してからまた好きになった気持ちで、まだ恋してるので、それは失わないよう大事にしていきたい。
消えてしまえば楽なのかもしれないけど、まだブログはやめられないでいる。
もっと思い込みすぎずに、客観的に見てみる、少し気持ちを手放してみたり、拡散させてみる。
生きるの辛いと思うけど、ライブに行くと嬉しい。水戸さんの言葉に救われてる。筋少の新曲が出ることが楽しみで生きる。
なんにもなし得てない自分がみじめだけど、あきらめていく。子供を大事にすること、家族が健康でいられること。なるべくなら辛い目にあわないように逃げて、楽しいことがあるように。