最近RTのRTかなにかで、生きてくのがしんどいし努力しなきゃ生きてけないのなら生きるのあきらめたい、みたいな趣旨のつぶやきがあった。

女性誌だと、若い子向けだとこれがモテるとか、ヤングママ向けだと赤ちゃんや幼児とパパとこういう素敵ライフスタイルとか記事あるけど。
もっと年齢あがると夫が浮気してあたりまえと思ってるとか家をかえりみないとか、昔からよくある話。
さらにもっと上になると、夫が定年して家にずっといて食事の支度もなにも手伝わないし自分でなにもしない、デイトレしてて妻が外から帰るの遅いと機嫌悪いとかそういうのになってくる。

「専業主夫との結婚」という選択肢 :日本経済新聞
読んであーあのライターかーと。よく出てくる。
だって夫が年収低くても長時間労働というケースもあるはずだよ。妻は出産したら正社員で続けるの難しいしやろうとしてもできなくなっちゃう、親の介護とかはいるケースだってあるだろうし。

俺を養わないかー(笑)カラ松だー。

結婚するにしてもしないにしても、生きる努力はしんどい。
楽しみがないと、どんなことにせよ楽しみを奪われたくない。

結婚しなきゃならないとか、出産しないと人間として劣ってるとかいう観念っていうのは、昔の人間の、老人で資産とか権力とかある人々が自分たちの都合のいいように操作してる社会である。

あさいちでやってるストーカー男とかDV夫とかこわい。つかまらないよう逃げろ。一人で稼げるようにならなければ。ともし娘がいたら教えたいし、娘いないから息子にはクソ男にならないようにしなければ。
政治家とかの世代の老人男の考えはかわらないからあきらめる。何十年かわかんないけど何百年かごには死ぬし。
人口増えようが減ろうがしらない。
話題になってる夫婦別姓とかもそうだし。
(3ページ目)『あさイチ』でイノッチが「夫婦別姓」反対派の主張を一蹴! 安倍首相も日本会議もぐうの音も出ない正論|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見

もちろん、安倍首相をはじめとする右派・保守が夫婦同姓に異常なほど執着するのは、全体主義国家への回帰を志向し、家制度、家父長制の復活を望んでいるからだ。国際的にみれば選択的夫婦別姓同性婚といった女性、性的マイノリティの権利や自由を守る方向に進んでいるが、彼らはそれとはまったく逆を向いている。
「女性の活躍」と言いながら、働く女性の利便性を高める選択的夫婦別姓を安倍首相は何が何でも認めないはずだ。

記事にあったこの家制度とか家父長制とかが原因だってこと。そんなのにとらわれてそれがいいと正義だと思い込んでるひとたちがいるから、思い込んでる人もそうじゃない人も沢山の人が苦しんでいる。
苦しまないように自分は逃げる。

そこは、通貨がある。それが価値を交換するもの。
通貨があれば別のものと交換できる。買えるということ。
通貨を稼ぐには、それだけの稼げる能力がないとならない。自分にはこれだけしか稼げない。これでは生活していけない。若いときに無理をしてたときの財産を削っている。底をつくのはそう遠くない。
通貨によって人はおかしくもなる。だからもうおしまいだと思うし、ゆるやかにしぼんでいきなくなる。できれば平穏に健康でいたいと願う。

若い可愛い女性は価値がある。
そうでなければ価値のある、稼げる能力。
その他は価値がない。なくても生きていける。生き残れなかった。きのこれなかった。

現世では諦めている。終わりである。それはどれだというのがこの記事をたまたま見て読んで言葉が見つかった。mess-y.com

夫の稼ぎが安定しているのならば、母親が幼い子供を預けてまで働く理由がない、という固定観念は2014年現在もなお日本に根強い。まず「男女つがいで婚姻関係を結び子を為す」ことが人間として“善”であるという前提のもとに、「男が外で働き、女が家と子供を守る」家庭こそが正しい家族の在り方だという主張である。

「女は稼げる男と結婚したら働かなくていい」「母親にとっての一番の仕事は育児」という観念がまかりとおる世の中は、多くの男女にとって様々な権利を阻害している。

タチが悪いのは、上記の主張を持つ側は全然悪気がなく、無意識に刷り込まれた価値観を疑いもしていないところだ。都議会の「産めないのか」ヤジ騒動も、根底はここだろう。「働くか子を産み育てるか」の二択を迫られれば、少子化国となるのも必然。

そういうことだ。そう思い込まされてしまっているが、それで実際に都合がいいのは一部の富裕層で、過去から財産を持っているとか。
あと記事元メモしてなくて忘れたが、日本には昔からある昔話で、悪い行いをしている人に悪いことが起きるのは当然であるという考えが刷り込まれているのとか、代々の家を守る的なことで夫婦別姓の問題とかがある。それにとらわれてしまっている。伝統的な家族観という。戦国時代的な。

そういう観念に沿わないのが、迷惑な人間だという重圧が生きにくくしている。
一人産んだらもう一人ということも。3人4人いたほうが上で、だから負い目がある。それは変わらないのだ。どうしようもない。得するのはごく一部の人なのに。

さまざまな理由で働けない人がいる。好きなことややりたいことを仕事にしているという人が全てではない。むしろそういう人のほうが少ないと思う。

kobeni.hatenablog.jp

今日読んだこちら。私はもっと上で40過ぎている。もともと容姿が劣っているのに、年取ったら老けるだけでさらにひどくなり、努力でカバーすることも苦手でできなくなった。
仕事も会社員でなくなったからバイトで少々しか稼げなくなった。能力はここまでだった。生きてるだけでせいいっぱい。

ただ若いころから可愛くて美人でアイドルとかの業界に入るような子でも、美人やかわいいのほかにひいでた能力がないと飛びぬけられないし、可愛かったり美人であることによる厳しさやデメリットも様々あるようだ。

容姿と能力が高いのが女性だったらアナウンサーだったりするだろう。それだって画一的な認識でしかない。
そうではない人々のほうがはるかに多い。
ではどうか、生きていられること、不潔感がなく不快感のない一般的な対話ができること。無意識に刷り込まれた幸せの価値観とかにとらわれない。
あるていど稼げて、健康的な楽しみが持てる生活ができる。

私は10代のころに出会った筋少と、水戸さんやケラさんや、ほかにも好きな音楽がたくさんあり、それを楽しむことで生きてきた。
夢とかいうのはわからなくなった。ベストをつくしたいと思い、ああしてはこうしてはとやってみるが、うまくいかなくて挫折している。
生活と子育てと、音楽を楽しむためには稼ぎが必要で、そのために自分ができることで稼がなくてはならない。

迷惑だと言われること、言われるまでもないがそう思われていれば、それは重圧になる。
楽しむことにおいて、ファン同士で利害が生じれば、そういう場面にあう。そういうのは私はつらいし、争いは避けたい。
ファンとして活動を応援したり、楽しみ続けたいという思いがある。そう思ってネットで書いてきたことも、同じファンにとっては不利益で迷惑だと思われることだった。だから一部は正しくても間違いであった。
オーケンが言ってた、SNSに否定的な考えは正しく、自分のほうが間違いであった。
例えばライブでこういうことがあった、こう言ってたってことが、オーケンの意図とは違う方向に伝わってしまったりすること、ウィキペディアなどに書いてあることは事実ではなく不本意だと思っていることがある。
そういうことを書いている人が、大槻さんにとって迷惑だから、書いてる人が迷惑だということだ。自分がここが楽しかった、よかったと思って書いていても、ファンによってはそう思われるということだった。
だからどうするか。そのような圧力で楽しむことを諦めることはしたくない。しかしネットで書くことを全て諦めたくはない。

挫折するかもしれないが、SNSでフォロワー広げるのはやめて縮小する方向にしたり、交友範囲を広げない。自分が楽しむことを大事にすること。ファンレターなどで感謝や応援を伝えること。クリエイティブな才能がないから、できることはそのくらい。クリエイティブな才能を持ったファンはすでに多くいて、良さは下の世代などに伝わっている。私が昔に活動休止で不安に思っていた、音源が再販されなくなったら忘れられてしまうのではないか、ということも全くなくなった。
私は楽しみつづけていければいい。

今しかない。いつしぬかわからないけど、未来が不安である。
会社員時代の収入で続けていられれば良かったのに、できなかった挫折と、この先の展望が見えない。

格差。住んでる地域とか、親の資産で決まる。
世間に迷惑がられること、足を引っ張られること、平等でないと、攻撃されるのが、生きづらいと思う。

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これだ。だから収入がないとダメだって若い頃から考えてたわけ。十分な収入がないと。
両親だってそこまでひどくないけど、専業主婦だった母が定年後の父のことを、たまに自分に愚痴る。
そこだよ。専業主婦なんて地獄。何が幸せだ。
何が悪いのかなんて知らないけど、やりたいことできない人間なんて生きるの辛いだけなんて。

どうにかベストを尽くしているけど。教育費がかけられるかどうかが、進路につながるのだから、富裕層だけが、昔からの上流階級が、裕福であり続けて、下層から吸い取っている。
子供に恨まれるかもしれない、殺されないようにするにはどうしたらいいか。親族同士で殺されるわけ。
貧困になって何も楽しいことできずに死ぬのか。

親にされた仕打ちで恨んでる人なんてゴロゴロいる。母だってそうだ。祖母とは会わないっていうし兄弟とも仲が悪い。
自分は兄弟なんてなくてよかった。子供産んだ時にもう一人産めるかどうかと考えたがあまりの出産の死ぬ思いだったのでもう無理だし。一人でよくないなんてことない。
仲のいい親兄弟がある人もいるけど。じゃあ子供に恨まれないようにするには、家族が安心するには。

普通がよくわからない。従来思ってた働き続けて子供いてというのが自分には高い理想で無理だった。よくわからないが、夢のハードルが下がって、生きることそのものが夢なのか。と思う。
それも幻想なのか。諦めすぎてるのかわからない。17の時に卒業したら死ぬしかないと思い込んでたのと同じか。どこの時点で諦めるか。

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筋肉少女帯「おまけのいちにち(闘いの日々)」

アルバム購入して一通り聴いたところで、思ったことをさらっと書こうと思います。きっとまた、聴き続けたりライブで何度か聞くと印象も変わってきたりするのだろうな、と楽しみ。何よりも、新曲を迎えて聴いて、ライブで聴きたい!楽しみ。とワクワクする気持ちが起きるっていうことが嬉しい。それがまだ終わらないということが幸せ。
昔を振り返ると、出会った高校生の頃に迎えたアルバムでワクワクした気持ちが、同じバンドで今も続いてるということがすごい。そういうバンドはまだ他にもいるけど(人間椅子がそうだし)、筋少は一度止まっているから、もう終わりだって絶望的になった。もう出ないんだって思って。その時に思っていたのは、筋少はもっと素晴らしい曲を出せるはずなのに。これで終わってしまうのかと。
そんなに大ヒットしたわけじゃないから、このまま時が経ったらCDも廃盤になって世の中から忘れ去られてしまうんだろうか。と寂しく思っていた。でも全然違ってた。こんなに筋少は多くの人に聴かれていて影響を受けたクリエイターがどんどん世の中に出て行って、筋少好きなことをさらに下の世代が知って聴くようになった。
そして復活して、新曲を出すようになってそれを聴いた時に、一度私が諦めて区切りをつけるのに自分なりに面倒で時間がかかったこと、過去のアルバム再発だけじゃなくて、新曲で新たに進んでいくんだって。それがまた心を揺さぶられて好きになったこと。あの時に思ってたことが終わりじゃなかったんだと思った。
復活してから、新曲が次々に出て、ますますその思いは強く確信的なものになっていった。復活した当初は、そんなに長くは続かないんじゃないか、昔からのファンは歳をとって、新曲なんて興味ないと離れていくんじゃないかって思ったのだけど、新しく入ってくるファンが増えたし、私は好きな気持ちは冷めることはなかった。

どうしてだろう、離れていくファンがもう筋少聞かないっていうと、自分が否定されたみたいに悲しくなってしまう。もう他の人のことは気にしないとは思うけれど。
でも、復活後からの若いファンがとても熱狂してる様子を見ると、昔の自分みたいだと微笑ましくなってとても嬉しい。
そうして去年から1年で、新しいアルバムである。もう、前と違うとか比べるとか、私はそんなことじゃなくて、いつでもそうだった、予想や心配なんて吹っ飛ばされる。
もちろん、出会った若い頃の曲は、その時にしか経験できないもので、思い入れが深いのは、比べるものとかじゃない。じゃあなんだろうっていうと、筋少にだけ関して言えば、きっとこうなんだ。
よく大槻の歌詞が昔と違うから良くないとか言われるけど、そうじゃなくて時が経って多くの経験をしている。世の中は変わっている。普遍性があるところもある。年を重ねてきてる変化が面白くて惹かれるんだ。自分が筋少と同じ時を進んでいるから。惹かれ続けているのは、生き様を表しているから。

発売直後のインタビューで制作時のエピソードなどを知ると、なるほどと思う。昭和40、50年代がテーマという。1980年代風ののきらびやかさがあった前2作から、揺り戻したんだなって。今の流行りの音楽はボカロっぽいボーカル加工したのとか、メタルでもモダンっぽいの(詳しくないけどベビメタとかディルアングレイみたいな)を取り入れる感じもないと思った。
内田さんの曲を前作よりも増やしたのも、雰囲気を前作と変えることだったみたいで、内田さん曲らしい重めのダークな雰囲気が濃くなっている。そうしたかったんだな、アニソン路線だけじゃなくて(笑)懐が深いというか引き出しが多すぎるというか、言葉で上手く言えない。
カバー曲を含めて、アルバム1枚の作品として聴くことを大事にしているのをやめない、そうし続けていることが嬉しい。

01. 大都会のテーマ (TVサイズ)

最初にインスト版を聴いてそのままかと思ったら、コーラスが入っててかっこいい!って思った。昭和生まれだけどこのドラマの時代はまだ知らない。(その後の西武警察か太陽に吠えろを見てた世代だから。)70年代のどろっとした感じ。物語の導入に。

02. レジテロの夢

橘高さんのリフがかっこいい。悪魔っぽい。歌詞も殺伐としたイメージ。世界中で起きているテロ戦争、レジスタンスとどう違うのか、どちらとも言えずわからない、昔も今も起きている。どうしても市街戦でランチャーって出てくると、もう今やってるスプラトゥーンの画面が浮かんでしまうので、きっとずっとこの先もこのイメージが離れないと思う。(笑)ラストでガラッと曲調が変わるのが特撮の曲も思い出した。夢うつつっていう雰囲気を出している。世界観が広い。

03. 混ぜるな危険

勢いに乗って、シングル曲がここに。二人が出会ったことで世界がひっくり返るような恐ろしさ、地獄が天国に変わるような感じ。ライブで初聴きした時に中盤の展開と語りにゾクゾクした。

04. 球体関節人形の夜

野水いおりさんのバージョンを先に聴いた時は、橘高さん曲のX.Y.Z.→Aっぽいのだなって思ってたけど、筋少バージョンだと筋少になって同じ曲でもまた印象が変わってる。激しくかつ切ない少女視点のストーリーは筋少曲の特徴の大きな要素でもある。幻想なのかリアルなのか。違いはどこなのか本当は同じなのか。

05. 枕投げ営業

おいちゃん曲のアルバム初出しは今回この曲だけ。おいちゃん曲だー!って全面に出て走り出すような。キャッチーですぐ口づさみたくなる歌詞と曲。こっちはまたもう一つのオーケン得意の少女視点のストーリー。曲のイメージも80年代のアイドル、女子も男子も3人組で踊るやつ(笑)それでアイドル運動会でプールサイドで歌うやつ(笑)今のAKB系とかよりも、おニャン子ユニットの感じだなぁって思った。

06. LIVE HOUSE

今回は私的にハイライトで(笑)愛に溢れてるでしょ。昔からオーケンのMCネタにされてて、おいちゃんが10代の頃のバンドでやってた、ポップでキャッチーで甘酸っぱい青春の歌っていう、おいちゃん曲が筋少に入る前から言われてた。それが時を経て、復活後の筋少動画のリリース時に昔のライブ映像が話題になってオーケンがウッチーと歌ったのを始めに、ケラさんが有頂天初期メンバーのライブでやりたいって歌った。音源化されてないから、ずっと何かの形で音源化しておいちゃんボーカルで聴きたいなって思ってたのが、まさか筋少の新曲として生まれ変わるなんて、それがすごい嬉しくて。特典CDでだけおいちゃんが歌うのかと思ったら、本編でもおいちゃんとオーケンがデュオでハモってて素敵で。橘高さんの温かいソロが入ってて。これからずっと残って歌い続けてくれると思うとすごく嬉しい。
80年代のバンドブームがまだ初期の頃の空気で狭いライブハウス。想いを寄せるのはちょっと年上の女の子なのかも。後半にかかる歓声っぽい効果は広いステージに出て向かっていく感じに思える。あの頃に行ってみたい。

07. 別の星の物語り

内田さんの曲かと思ったら橘高さんの曲とは!メランコリックな感じ、クラシックギターをつま弾く。ストーリーが高校生の子供がいる女性が元彼にあったっていうのがはっきりわかるので(笑)、どっちもアラフィフだし、70年代歌謡曲っぽさ。マダムがメロメロになりそう。ウッチーが歌うバージョンがまた甘くて良い!これでSMAPが歌ってもいいかもとちょっと想像しました。

08. 私だけの十字架

前作に続きカバーのオーケン気持ちよく歌うシリーズ。これもドラマ特捜最前線の主題歌で、大都会のテーマと合わせて統一した哀愁漂う雰囲気を出している。

09. 大都会のテーマ

ロングバージョンめっちゃかっこいい。これをブリッジにしてさらにディープに潜っていく。

10. 時は来た

これはウッチー曲で重たくアッパーな感じの。聴き覚えあるリフで(笑)掛け声が入るライブが楽しいこと間違いない。ライブの熱気と一体感と、オチちょっとずらしたずっこけ感とか。うっそだよーん!ってウヒャウヒャ笑うところがすごい好き。

11. おわかりいただけただろうか

オカルト番組に定番のワード。恐怖映画の怖い曲調で。そこから語り部が女性に向けて愛を語るという展開になるのが意外性があって、その言葉に心を掴まれた。これこそオーケンの今の想いなんだ。優しくて、迷いがない。悔やんだ過去はやり直せない。未来に不安なことばかりある。でも今この瞬間だけなんだ、今が続いていくんだ。これが長年、作品を出し続けてきた重みと深みなんだって思う。

12. S5040

内田さん曲で、NESS曲にも通じるような感じのアシッドっていうのかな。サイケデリック調の曲。タイムトラベル物の歌詞は特撮でもよく書かれている。前回のゾロ目から続く、運命の二人が過去と未来を行き交うような。昭和の雰囲気もありつつ、もっと幅広い時空へと広がって、過去から世界中で紛争は続き、未来へ世界の終わりはどこなのか、そう思いを巡らせてみる。

13. 夕焼け原風景

アルバム最初のほうの、勢いある曲が筋少の表面だとしたら、裏面はバラードでじんわりと暖かく閉じる。川で夕日を見る二人の風景は前にも「きらめき」で表していた、暖かく好きな人を見つめるシーン。感情こもった泣きのギターに、想いを込めたボーカルにぐっとくる。ライブでもじっくり聴かせてくれそう。

古くもあり、新しくもある。昭和の当時を体験していなくても、楽しめて熱くなったり泣けたりほっこりする。時間飛行をする列車に乗って、過去と未来を行き来できるよう。出会った頃の気持ちに戻る感覚もあるし、今を生きるパワーを出せたりもする。筋少はバンドであるが、それ全体が物語のようで、結成した時から、楽曲からライブから、メンバーの生き様全てが。その中に入って私は物語を見続けているんだと思う。だから憧れてやまない。
いつ自分が死んで消えてしまうか分からない思いもあるし、バンド活動が続けられなくなってしまう時がいつ来るか分からない。物語を見届けていきたい。活動が続けられなくなったとしても、楽曲は永遠に残るし、物語はきっと終わらない。